三十路と片麻痺と2匹のインコ

左片麻痺の日々を連々と

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洗濯物が乾くかどうかすら気にしない日

今ベッドの中でスマホを使って書いている。

今日は日曜日。休日であるが、現時点までの半分以上をベッドの中で過ごしている。

休日の日にはアクティブな、何か文化的な活動をして探さないと勿体無い。今までの僕の休日の過ごし方はそんな考え方だった。なので普段なら図書館に出かけたり、少し遠目の街に出かけてみたり。家の中で探すにしても本を読みふけったり映画を見たり、何かをしないといけない、勿体無い。そんな気持ちで過ごしてた。

そんな中書籍だったりユーチューブだったりツイッターだったりで、「何もしないで過ごすのも現代ならではの贅沢」ということを知った。実際これは贅沢なのか、こう見えて試してみたければ済まない性分である僕としても一度何もしない休日というものを送って見ることにした。

とりあえず本当に何もしないわけにはいかないので、洗濯と買い物を済ませたら、あとはひたすらラジオをBGMにしてベッドの中で過ごすことにした。椅子に座って過ごさないのは、よりによって今日が冬型の気候でひたすら寒いからだ。

体感したことを正直に言えばこれは至極の贅沢である。おそらくこの時間をそれこそ文化的活動や勉学に充てればきっとレベルが5ぐらいは上がったことなのは間違いないだろうが、あえてそれを選ばず、ただ心と身体を時間の流れに預けることは間違いなく現代では贅沢である。

ある意味現代に増えすぎたストレスやトラブルから完全に隔離した空間と時間を設けることで、暴飲暴食や衝動買いなんかのストレス発散なんかよりよっぽど安全にストレスを発散…発散というか融解?溶解?させれると感じた。

僕にだって友人付き合いもあるし、じっくり読みたい本や観たい映画が出てくることももちろんあるから流石に毎週何もしないというわけにもいかないが、月に1回、出来れば2回はこういう何もしない日を作るのもいいかもしれない。

自宅で過ごすだけじゃなくて、公園のベンチだったり、河川敷だったり、場所を変えて見るのも面白いかもしれない。これもまた試してみたい事に付け加えよう。

私の座右の銘

誰しも自らを強く示しておくために座右の銘を持っている。赤子でさえ「お母さんとミルク」という欲しい物もとい、座右の銘を持っているくらいだ。


自分の長い人生において柱のように、時に夜道の街灯のように自分を照らし、示し、形作る言葉。ここで自分の座右の銘を紹介するとともにその意味について考えていきたいと思う


「真面目に不真面目・不真面目に真面目」


我ながらちんぷんかんぷんすぎて頭を抱えてしまう座右の銘である。因みに職場の人にこの言葉を入った際「ここのさんらしい深い言葉ですね」とめちゃくちゃポジティブに捉えてもらえた。嬉しい。

ここでそれぞれの言葉を考えてみる。

 

真面目に不真面目・・・つまり根っこは不真面目であるが行動や考えは真面目。決まりごとに不満を抱えつつ嫌々従っている状態のようなもの。あれこれ今の状態がそれなんじゃ・・・。
表面上は言われたことに従い真面目(に見えるような状態)ではあるが行動が伴っていない、もしくは行動の内容に問題があり、「やってる事は正しいけど、やってる内容は間違い」そんな状態なのだろうか。うーん、ますます訳が分からない。


不真面目に真面目・・・つまり根っこは真面目だが行動や言動が不真面目。口調は雑だけどちゃんと守るもの守ってる田舎のヤンキー的なものだろうか。やろうとしていることは間違ってるけど、やりたいとしている内容は間違ってない。なんだか繊細な人ですね。


真面目と不真面目、後者に持ってくる言葉によってとらえられ方が変わってきそう。冷静に考えたら真面目が後者に来た方がパッと聴きの捉えられ方はプラスだろうが、基本は不真面目ということがばれたら予後がよくなさそうだ。


しかし個人的には人生において遊びやゆとりが大事だと常々思っているので、そういう意味では「不真面目に真面目」の方があってはいそうな気がした。真面目にストイックに頑張るのも大事だけどゆとりや余白(不真面目)の部分も忘れず大事にしようぜ!的な。おお、なんだかこう書くとすごくまじめな言葉の気もしてきた(笑)


いろいろたらたら述べたけど、改めて座右の銘は「不真面目に真面目」にします。意味は「誠実に育つのも大事だけど、遊戯王カードのレア封入パック当てるためにお店で長々とパッケージ裏の印刷部分とにらめっこしているぐらいの不真面目さを持って生きようぜ!」です。

三日坊主の習慣化計画

生活のルーティンを見直して生活を整えよう
言い回しは違えど、ここ数年でこういった趣旨のコラムやブログが増えたように思う。
花粉症がひどい時のティッシュ並みの勢いの大量消費社会にアンチテーゼを謳いつつ、自分が夢見る鏡の中の輝く自分になろうという湯気でj曇った鏡よりは見る先がハッキリしている幻想ドラマである。
とは言いつつ僕もご多聞に漏れず、夢現の中で夢見る自分になるために色々取り入れてみたりはしてみた。ただ僕は3日とはいわないが約1週間坊主である。アウィークボーイである。
仮に1週間続いても何らかの事情で行えない日が来たらそこで終了、次の日にそのルーティンをやる気が湧かなくなるのだ。
こういうものは例え何らかの理由で行えない日が出てきたとしても、出来る日にきちんと行うことによって習慣化する、毎日書き続ける日記に「できた・できなかった」のネタになれる話なのは理解している。だから熱しやすく冷めやすいタイプとしては対処を入念にしないといけないわけであり困ってしまうのだ。
そこでいくつか対処を考えてみた。いくつか考えるが実践するのはおそらく1つである。1つの週間も根付けないのに、3つも4つも同時に行おうとして成功するわけがない。
まずは習慣を行ったらご褒美を与える事。家事を行ったらおやつタイムやコーヒーブレイク等を設けるといったことだ。これは僕の中でコーヒーブレイクはご褒美に値しないから却下である。
次は趣味的なものを習慣にする。読書やアニメ鑑賞、資格の勉強なんかが値するだろう。これなら習慣を得つつ感性を刺激して新しい価値観・センス等多数を得れそうではあるが、習慣以外で得たものが余程脚立を持ってくるレベルで高望みするものでないと2兎を追うもの1兎も得ずになってしまう可能性が高い。自分の成長が伴わないとあっという間に飽きてしまうのだ。
3つめは日常生活に必要な事を習慣にする。家事とかがそうではあるが、これは大掛かりなものにしなければまだ続きそうではある。調理後のクッキングヒーターの表面を拭くとかカーテンに芳香剤を吹きかけるとか、1,2分程度の作業の物ならよさそうだ。床を吹き上げるとか(部屋の広さによっては)大きなものにすると雨の日の憂鬱な気分に負けてやらなくなる日が増えるのは目に見えた話である。
なんだかんだ考えてみたが、何だかんだと机上に空論を書き散らしてきたが、結局一番続きそうなのは日記をつけるとか、こうやってブログを書くとか、自分の中でスイッチを入り切りできるものじゃないだろうか。これならやる場所を特に選ばないし、やる気の量を文章量によって調整できるから柔軟性も申し分ない。
そのうち「低気圧きつい、バッサリン最高。」アシカ中身もない記事も上げそうな気もするが、その時は一人しりとりのやり取りでも書けばいいさ。

歳と同じ数だけのクラッカーを重ねることは無理である

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最近やたらと歳を重ねたなと自覚する。

その瞬間は多岐に及び、疲労感とか胃もたれ感とか4回転こむら返りを決めたときとか。とにかく今まで感じたことや経験したことがない状態や症状が出てくるようになってきた。

とりわけ食べ物の好みについては顕著である。これは誰しも経験することでもあるが、子供の頃と好き嫌いが大きく変わり、なんなら逆転現象まで起きてしまうことだってある。

僕自身にはまだ逆転するほどとは言わないが、それなりに好みの食べ物が変わってきた。

うどん、たくあん、納豆、オクラ、山芋、塩をふりかけただけのトマト。

特に最近変わった好みがおやつである。もちろん甘いものは子供の頃から好きだし、今だって大好きである。もちろん個人的にはおやつと判断できるものは甘いものに限った。しかし最近はこのカテゴリーに塩気のあるものが加わった。

そうクラッカーである。

きっかけはトップバリュのチーズクラッカーだった。普段なら黒かりんとうを買うところだったが、たまには変化をつけようと思い単なる興味本位で買って見たところ、これが大ヒットした。3週連続オリコン1位並みの衝撃だった。

クラッカーの持つ口に入れた時に聞こえるサクッとした音と食感、見た目によらず噛みごたえのある肉厚感。

本来はチーズ等と合わせるためか、しっかりと聞いてる塩気と咀嚼重ねた時のみにほんの僅かに感じる甘み。これらが僕の頭の中に一瞬で浸透し、魅了していった。要は中毒的にはまってしまったのだ。 

子供の頃は甘く無いお菓子なんてお菓子では無い!と頬を真っ赤に膨れ上がらせた童話の大臣のような形相で否定的だったクラッカーであるが、やはり歳を重ね様々な味覚を経験した上で食してみるとこうも印象が変わるものなのかと驚いてしまう。

それからというもの毎週のようにクラッカーを買っている。前述のチーズクラッカーに初め、リッツやルヴァン。まだまだ批評できるほど食べ比べれてはいないが、とりあえずメジャーどころは制覇したい。

そして今最後のルヴァンを食べきった。亜ぁ、くっラッカーを求め出す。明らかに体に良く無い話だが、大人の味覚と肉体的影響いうものに気づいてしまう年齢であるが、同時に好きなものを食べるという贅沢がまだ許されるギリギリの年齢であることをポジティブに捉えたい。

大人になって味わうチェルシー


だいぶ気候は春めいてきて、天気予報を見ると最低気温も2ケタに届く日も出てきた。
しかし乾燥はまた別だ。自宅では朝晩の冷え込みから、職場では鉄筋造り故の慢性的な肌寒いひんやり感から暖房を使わない日はない。
なので日常を過ごす場所のほとんどが乾燥気味である。加湿されてるのは浴室か駅のホームぐらいだ。
電話応対が多い仕事であり喉を傷めることができないので、常にのど飴が手放せない。

愛用しているのは以前紹介したカンロの梅のど飴だ。ハーブ成分配合と謳い、優しい甘さと小さじ1/4程度の爽快感のバランスが大好きだ。
そんな梅のど飴を堪能している時、課長からチェルシーを奢ってもらった。しかも一袋ごと。どうやら同僚と二人で分け合いらしい。

そんなタイミングで同僚は休憩、分配の権利は僕に渡ってきた。

仲良く折半が当然だが、中を見たらバター8ヨーグルト7コーヒー7。トータルは割り切れるが、バター以外は2で割り切れないから困ったものだ。
僕は自称する必要が無い程度に卑しい奴である。もちろんヨーグルト多め、コーヒー少な目の配分で分け合った。バター4ヨーグルト4コーヒー3である。しめしめ。

そして早速舐めると、瞬く間に懐かしい味が口いっぱいに広がる。
バター味はバターの濃厚さとほんの少し残るミルク感との組み合わせから包容力のある優しさ、ヨーグルトはプレーンヨーグルトに少し砂糖を加えたような子供っぽさと大人舖差が混ざり心地よさが残る安心感、コーヒー味は大人になりたがる子供をなだめてくれるような苦さから落ち着きある安堵感を感じてしまう。なんだ、子供の頃苦手だったコーヒー味も大人になれば中々乙なものじゃないか。

そして今バターを舐めながらこの文章を書いている。内心は早くコーヒーを消化したい卑しい気持ちでいっぱいだ。

頭ぐらぐら

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適度な室温、適度な湿度、左は座れるソファ。そこに待ち受けるものは寝。

 

Siriに15分のタイマーをセットしソファァに体をだらしなく預け。静かに瞼を閉じる。

 

ありふれた事象、晩御飯のおかずの事、居てもしない空想彼女との平和な日々。

 

そんな事を頭の中に描くうちに浮遊感に包まれ、その直後タイマーが鳴り響き眼が覚める。その瞬間冥界にお出かけに向かいかけてた魂の尻尾を掴み体に引き戻す。

 

視界はクリアとなり、ほんのりミックスされた頭と思考を静かに揉み込みながら休憩室を後にする。

 

やべえめっちゃ眠い

ブラックサンダーに焦がれて

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僕はチョコが大好きである。

 

板チョコ、チョコシュー、チョコクッキー、チョコビスケット、チョコと名を冠するものは興味をそそられるし惹かれてしまう。

 

しかしそんな毎日毎日チョコを買ってたら金銭的負担も大きくなるばかり、しかし我慢しても身体が自然とチョコを欲してしまう。単なる糖分欠乏症とか依存症とか言わないでほしい。ちなみに僕は糖尿病ではない。

 

そんな財布と糖分が寂しい時に僕を満たしてくれるのがブラックサンダーである。

 

 

実はブラックサンダーは数種類あり、ノーマルなやつとゴールドと言われるもの。今なら期間限定でプレミアムというものもある。僕はけもフレ騒動の遥か前にニコニコ動画のプレミアム会員は退会済みである。

 

このノーマルとゴールドであるが、今日初めてちゃんと食べ比べをした。今まで何となく気分で買ってたから違いがいまいちわからなかったが、意識してみると随分違うと分かる。

 

一番大きい違いはゴールドはノーマルに比べてチョコの密度が濃ゆいのだ。パッケージに目を移せばその密度の差はカロリーに現れていて、ゴールドの方が40kカロリーほど高い。

しかし困ったことにゴールドを食べてみるとノーマルの密度じゃ物足りなくなってしまう。

 

値段の差は10円程だが、密度とチョコ満足感の差はそれ以上だ。しかもカロリーは40程度の差だ、これなら今後はゴールドを積極的に選んでいきたい。

 

 

バレンタインで義理チョコ動向と話題になったようだけど、ブラックサンダーゴールドをくれるようなチョコも愛の密度も濃ゆい女の子と出会いたい人生だった。

 

有楽製菓 ブラックサンダー1本×20個

 

有楽製菓 ブラックサンダーゴールド 26g×20本