三十路と片麻痺と2匹のインコ

左片麻痺の日々を連々と

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充実した1日

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今日はなかなかに充実した1日になりました。

1.初めて行った美容室で値段を出す価値を再確認

いつも利用していた美容室が1月で閉店してしまった。最後にカットしてもらった時震災狩りというものにしてもらったので暫く伸ばす予定だったから、当分は切りに行く必要はないと思っていた。

しかし少し伸びてくるとやはり大なり小なり違和感が出てくる。その為伸びてきた時に良い状態で伸びてもらうため美容室に行くことにした。

新規開拓なので雰囲気も全く違うところにしようと思い、ホットペッパービューティーを眺めながら良さそうなお店をピックアップし予約。

そして今日が予約日だったが、今まで行ってた美容室と比べて1000円ほど高かったが、料金さなんかどうでもよくなるほど満足だった。雰囲気・シャンプー・カットのし上がり方、どれを取っても以前のお店以上に満足のいくものだった。やはりコストというものはクオリティに対してストレートに跳ね返ってくるものだと痛感した。また伸びたらここに行こう

 

2.久々に会った友人が激太り

友人の一人が就職のため東京に移住してしまうので、その前に貸したものを返してもらうという建前で一度会うことになった。

久々に会った友人は激太りしていた。遠目ではメガネがなければ気づかないレベルで全身が丸くなっていた。「移住前から仕事のストレスで太るとか今後が大変だな・・・」と思ってしまったが、どうやらここ数ヶ月は移住前でやることがなく、ほとんど引きこもった生活をしていたのが原因らしい。心配してフタを開けたら単なる自業自得な話だった。

その友人とはお昼を食べて、少し僕の個人的な買い物に付き合ってもらった。「連れ回した」の方が正しいのかもしれない。ちなみに貸していたゲームは持ってくるのを忘れられていた。まあ返してもらってもメルカリで売るだけだから別に困らないけど。ちなみにアイキャッチ画像ははこの時お昼で食べたお好み焼きである。

3.久々に会った友人2がプチマッチョに

今度は夕飯に行こうということで、こちらも数ヶ月ぶりに友人にあった。彼は僕の中の最後の記憶と照合しても全く太ってはおらず、むしろその逆で、日々の力仕事のためかプチマッチョになっていた。聞くでと逆の腕もめっちゃ太くなってて軽く引いた。最初は高級料亭っぽい蕎麦屋に行くつもりだったが、突然の大雨により急遽予定を変えて、近くの大型ショッピングモールのレストラン街に変更となった。

現在友人2は「海で海苔を取る」という、我々の食卓の平和と幸せをもたらす為、日々潮と網と戦う大事な大事な仕事をおこなっている。お父さんとしては子供に自慢したくなるランキング64位ぐらいにランクインしそうなお仕事だ。ちなみに僕はただの事務職だから279位ぐらいだと思う。お互い父ではないからこのランキングに意味がないのが残念だ。

彼とは牛タンを主軸とする定食屋で食事を行い、ひたすら新しいモンハンの話で盛り上がった。元弓使いとしてはシステムの変更点の話だけで驚きの連続すぎて情報がパンク寸前だった。

その後食後のデザートとしてクレープ屋でクレープを食べて帰った。チョコが苦手な友人にひたすらチョコ系の商品を推していく遊びが恒例となっている。

結局彼はフルーツカスタード、僕はホイップマロンクリームクレープにした。出来立て生地の温かさとマロンクリームの冷たさの組み合わせが最高に美味しかった

 

こんな感じで充実した1日だった。明日から3月なので、また月初の仕事の波に襲われると思えば、とてもいいリフレッシュができたと思う。今度はイチゴ系のクレープが食べたいな。

 

石橋を割らない程度にコツコツと

毎日続けるというのは小さな事でも意外と大変なのだ。

今ベッドに向かう途中でブログを書いていないことを思い出した。危うくこのブログを毎日更新するという小さな習慣が途切れるところだった。

 

瞑想、朝の散歩、朝ごはんに豆乳、色々続けようとしたけど三日坊主なのはなかなかに強力で、習慣にしようと始めたもので今日の時点まで続いものは無い。

小さなことの積み重ねが己を美しくするとか人として成長するみたいな事を書いた本を読む事もあったが、ここまで続かないと肩についた埃を払う程度にしか成長してないのではないかと思ってしまう。

 

自己成長に繋がるなら三日坊主だからなんて言い訳せずに続けることを意識しなければならない。なので今続けようと思ってる習慣をリスト化してここに残そうと思う。

 

  1. ブログの更新
  2. 日記を書く
  3. CSSの勉強

とりあえずこの三つである。あまり多すぎても絶対に続かないし、よく選択と集中と言われるように、本当は一つづつ習慣化して行くのがいいのだろうう。

なのでとりあえずこのブログを更新することを習慣化できるよう頑張ろうと思う。できることからコツコツとコツコツと。

 

そこまで書けるコンテンツがない?そんな時は今日の青空の色でも詩的に語れば大丈夫さ。

春から始める習慣

今日は昨日の不安定な天気なんか電車の中に置き忘れてきたようなすっきり青空が広がる朝となった。ういう日に早起きをすると普段の3倍(※当社比)は気持ちよく起き上がることができる。
しかし空はすっきりと青空が広がり日差しも良好なのだが、今だに朝の空気は冬のまま凍りついたかのように冷たい。勢いよく家を出たらあまりの寒さに体も背丈も縮こまってしまったかと思ってしまうぐらいだ。

しかし駅に向かって歩いてると次第に体が温まってくる。そして春の陽気が感じてきたことを確認し、寒さで中断していたウォーキング出勤を再開することにした。

別に1駅仰々しいものではなく、今でもほぼ毎日仕事帰りに職場から駅まで歩いているのでその逆、駅から職場まで歩いていくのだ。
時間にして30分弱程度、ウォーキングにしては長いわけでもなく短いわけでもない、比較的標準程度の長さだと思うが、だからこそ続いているのだと思う。今の僕の歩く事への欲求新だと1駅分程度じゃ物足りない。でも家から職場までだと長すぎて疲れる。職場から家まで。腹8分目の満足感を得られる距離、時間がこの「職場から駅まで」のウォーキングなのだ。

早速初日となった今日も気持ちのいい出勤となった。歩いて火照った身体にわずかに冷たい風が心地よい。
毎日の楽しみがまた一つ返ってきた。

洗濯物が乾くかどうかすら気にしない日

今ベッドの中でスマホを使って書いている。

今日は日曜日。休日であるが、現時点までの半分以上をベッドの中で過ごしている。

休日の日にはアクティブな、何か文化的な活動をして探さないと勿体無い。今までの僕の休日の過ごし方はそんな考え方だった。なので普段なら図書館に出かけたり、少し遠目の街に出かけてみたり。家の中で探すにしても本を読みふけったり映画を見たり、何かをしないといけない、勿体無い。そんな気持ちで過ごしてた。

そんな中書籍だったりユーチューブだったりツイッターだったりで、「何もしないで過ごすのも現代ならではの贅沢」ということを知った。実際これは贅沢なのか、こう見えて試してみたければ済まない性分である僕としても一度何もしない休日というものを送って見ることにした。

とりあえず本当に何もしないわけにはいかないので、洗濯と買い物を済ませたら、あとはひたすらラジオをBGMにしてベッドの中で過ごすことにした。椅子に座って過ごさないのは、よりによって今日が冬型の気候でひたすら寒いからだ。

体感したことを正直に言えばこれは至極の贅沢である。おそらくこの時間をそれこそ文化的活動や勉学に充てればきっとレベルが5ぐらいは上がったことなのは間違いないだろうが、あえてそれを選ばず、ただ心と身体を時間の流れに預けることは間違いなく現代では贅沢である。

ある意味現代に増えすぎたストレスやトラブルから完全に隔離した空間と時間を設けることで、暴飲暴食や衝動買いなんかのストレス発散なんかよりよっぽど安全にストレスを発散…発散というか融解?溶解?させれると感じた。

僕にだって友人付き合いもあるし、じっくり読みたい本や観たい映画が出てくることももちろんあるから流石に毎週何もしないというわけにもいかないが、月に1回、出来れば2回はこういう何もしない日を作るのもいいかもしれない。

自宅で過ごすだけじゃなくて、公園のベンチだったり、河川敷だったり、場所を変えて見るのも面白いかもしれない。これもまた試してみたい事に付け加えよう。

私の座右の銘

誰しも自らを強く示しておくために座右の銘を持っている。赤子でさえ「お母さんとミルク」という欲しい物もとい、座右の銘を持っているくらいだ。


自分の長い人生において柱のように、時に夜道の街灯のように自分を照らし、示し、形作る言葉。ここで自分の座右の銘を紹介するとともにその意味について考えていきたいと思う


「真面目に不真面目・不真面目に真面目」


我ながらちんぷんかんぷんすぎて頭を抱えてしまう座右の銘である。因みに職場の人にこの言葉を入った際「ここのさんらしい深い言葉ですね」とめちゃくちゃポジティブに捉えてもらえた。嬉しい。

ここでそれぞれの言葉を考えてみる。

 

真面目に不真面目・・・つまり根っこは不真面目であるが行動や考えは真面目。決まりごとに不満を抱えつつ嫌々従っている状態のようなもの。あれこれ今の状態がそれなんじゃ・・・。
表面上は言われたことに従い真面目(に見えるような状態)ではあるが行動が伴っていない、もしくは行動の内容に問題があり、「やってる事は正しいけど、やってる内容は間違い」そんな状態なのだろうか。うーん、ますます訳が分からない。


不真面目に真面目・・・つまり根っこは真面目だが行動や言動が不真面目。口調は雑だけどちゃんと守るもの守ってる田舎のヤンキー的なものだろうか。やろうとしていることは間違ってるけど、やりたいとしている内容は間違ってない。なんだか繊細な人ですね。


真面目と不真面目、後者に持ってくる言葉によってとらえられ方が変わってきそう。冷静に考えたら真面目が後者に来た方がパッと聴きの捉えられ方はプラスだろうが、基本は不真面目ということがばれたら予後がよくなさそうだ。


しかし個人的には人生において遊びやゆとりが大事だと常々思っているので、そういう意味では「不真面目に真面目」の方があってはいそうな気がした。真面目にストイックに頑張るのも大事だけどゆとりや余白(不真面目)の部分も忘れず大事にしようぜ!的な。おお、なんだかこう書くとすごくまじめな言葉の気もしてきた(笑)


いろいろたらたら述べたけど、改めて座右の銘は「不真面目に真面目」にします。意味は「誠実に育つのも大事だけど、遊戯王カードのレア封入パック当てるためにお店で長々とパッケージ裏の印刷部分とにらめっこしているぐらいの不真面目さを持って生きようぜ!」です。

三日坊主の習慣化計画

生活のルーティンを見直して生活を整えよう
言い回しは違えど、ここ数年でこういった趣旨のコラムやブログが増えたように思う。
花粉症がひどい時のティッシュ並みの勢いの大量消費社会にアンチテーゼを謳いつつ、自分が夢見る鏡の中の輝く自分になろうという湯気でj曇った鏡よりは見る先がハッキリしている幻想ドラマである。
とは言いつつ僕もご多聞に漏れず、夢現の中で夢見る自分になるために色々取り入れてみたりはしてみた。ただ僕は3日とはいわないが約1週間坊主である。アウィークボーイである。
仮に1週間続いても何らかの事情で行えない日が来たらそこで終了、次の日にそのルーティンをやる気が湧かなくなるのだ。
こういうものは例え何らかの理由で行えない日が出てきたとしても、出来る日にきちんと行うことによって習慣化する、毎日書き続ける日記に「できた・できなかった」のネタになれる話なのは理解している。だから熱しやすく冷めやすいタイプとしては対処を入念にしないといけないわけであり困ってしまうのだ。
そこでいくつか対処を考えてみた。いくつか考えるが実践するのはおそらく1つである。1つの週間も根付けないのに、3つも4つも同時に行おうとして成功するわけがない。
まずは習慣を行ったらご褒美を与える事。家事を行ったらおやつタイムやコーヒーブレイク等を設けるといったことだ。これは僕の中でコーヒーブレイクはご褒美に値しないから却下である。
次は趣味的なものを習慣にする。読書やアニメ鑑賞、資格の勉強なんかが値するだろう。これなら習慣を得つつ感性を刺激して新しい価値観・センス等多数を得れそうではあるが、習慣以外で得たものが余程脚立を持ってくるレベルで高望みするものでないと2兎を追うもの1兎も得ずになってしまう可能性が高い。自分の成長が伴わないとあっという間に飽きてしまうのだ。
3つめは日常生活に必要な事を習慣にする。家事とかがそうではあるが、これは大掛かりなものにしなければまだ続きそうではある。調理後のクッキングヒーターの表面を拭くとかカーテンに芳香剤を吹きかけるとか、1,2分程度の作業の物ならよさそうだ。床を吹き上げるとか(部屋の広さによっては)大きなものにすると雨の日の憂鬱な気分に負けてやらなくなる日が増えるのは目に見えた話である。
なんだかんだ考えてみたが、何だかんだと机上に空論を書き散らしてきたが、結局一番続きそうなのは日記をつけるとか、こうやってブログを書くとか、自分の中でスイッチを入り切りできるものじゃないだろうか。これならやる場所を特に選ばないし、やる気の量を文章量によって調整できるから柔軟性も申し分ない。
そのうち「低気圧きつい、バッサリン最高。」アシカ中身もない記事も上げそうな気もするが、その時は一人しりとりのやり取りでも書けばいいさ。

歳と同じ数だけのクラッカーを重ねることは無理である

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最近やたらと歳を重ねたなと自覚する。

その瞬間は多岐に及び、疲労感とか胃もたれ感とか4回転こむら返りを決めたときとか。とにかく今まで感じたことや経験したことがない状態や症状が出てくるようになってきた。

とりわけ食べ物の好みについては顕著である。これは誰しも経験することでもあるが、子供の頃と好き嫌いが大きく変わり、なんなら逆転現象まで起きてしまうことだってある。

僕自身にはまだ逆転するほどとは言わないが、それなりに好みの食べ物が変わってきた。

うどん、たくあん、納豆、オクラ、山芋、塩をふりかけただけのトマト。

特に最近変わった好みがおやつである。もちろん甘いものは子供の頃から好きだし、今だって大好きである。もちろん個人的にはおやつと判断できるものは甘いものに限った。しかし最近はこのカテゴリーに塩気のあるものが加わった。

そうクラッカーである。

きっかけはトップバリュのチーズクラッカーだった。普段なら黒かりんとうを買うところだったが、たまには変化をつけようと思い単なる興味本位で買って見たところ、これが大ヒットした。3週連続オリコン1位並みの衝撃だった。

クラッカーの持つ口に入れた時に聞こえるサクッとした音と食感、見た目によらず噛みごたえのある肉厚感。

本来はチーズ等と合わせるためか、しっかりと聞いてる塩気と咀嚼重ねた時のみにほんの僅かに感じる甘み。これらが僕の頭の中に一瞬で浸透し、魅了していった。要は中毒的にはまってしまったのだ。 

子供の頃は甘く無いお菓子なんてお菓子では無い!と頬を真っ赤に膨れ上がらせた童話の大臣のような形相で否定的だったクラッカーであるが、やはり歳を重ね様々な味覚を経験した上で食してみるとこうも印象が変わるものなのかと驚いてしまう。

それからというもの毎週のようにクラッカーを買っている。前述のチーズクラッカーに初め、リッツやルヴァン。まだまだ批評できるほど食べ比べれてはいないが、とりあえずメジャーどころは制覇したい。

そして今最後のルヴァンを食べきった。亜ぁ、くっラッカーを求め出す。明らかに体に良く無い話だが、大人の味覚と肉体的影響いうものに気づいてしまう年齢であるが、同時に好きなものを食べるという贅沢がまだ許されるギリギリの年齢であることをポジティブに捉えたい。